暑い秋の日の気づき

季節外れの暑い一日だった一昨日、花子と私は、電車で大阪に繰り出しました。
行き先は、花子の漢方のお医者さん。花子の心臓の調子を診てもらいに、行ってきました。

お医者さんまでは、バスと電車、地下鉄を乗り継いで片道1時間半、往復3時間のみちのりです。公共交通機関に乗りますので、花子は肩掛けのキャリーバッグの中に入れ、顔が出ないようにきっちりメッシュのふたを閉め、その状態でよいしょと肩にかけて移動をします。

花子と電車やバスに乗る時は、いつも本当に気を使います。吠えないでね、静かにしていてねと、祈るような気持ちです。花子はキャリーバッグの中で、わりと大人しくしていられて、吠え続けるようなことはありません。
だけど退屈してくると、急にバッグの中でぐるぐる回り始めたり、不満げに鼻を鳴らしたりして、「カバンの中に尋常じゃない生き物がいる」感をかもしだし、乗り合わせたみなさんをぎょっとさせることがあるのです。

一昨日も少々緊張しながら大阪に向かう電車に乗ると、幸いの車内は空いていて、車両の一番すみっこの席を確保できました。花子を入れたキャリーバッグを、膝の上に置いて座ります。ずっと隣が空席だったのも幸運でした。花子もおおむね大人しくていてくれて、助かりました。

ただ電車にのってほどなく、花子がバッグの中で舌を出してハアハアいいはじめました。本当に暑い日で、車内は冷房が効いていましたが、花子にはそれでも暑かったようです。
周りに迷惑になるほどの音は発していなかったものの、以前、ハアハア→ゼエゼエ→ひどい咳の発作発症、と言う経過をたどった経験があるので、私は内心大いにあわてます。これはいかんと、やおら手元のカバンの中から投函する予定のハガキをつかみ出し、パタパタあおいで花子に風を送りました。これ以上荷物を重くしたくないと、保冷剤を家に置いてきたことが悔やまれました。
すると幸い、それ以上息遣いが荒くなることなく、次第におさまっていってくれました。

最寄駅から電車に乗ること30分、無事大阪に到着。そこからは、地下鉄に乗り換えます。大阪の地下道を、花子が入ったバッグを肩にかけ、人混みの間を縫って、ずんずんと地下鉄の駅に向かいます。
一昨日の私の持ち物は、花子のお散歩グッズに飲み物、おやつ、私の財布やスマホなどの荷物、それに加えて5キロの花子本体です。総重量、少なくとも6キロはあります。肩にずっしりと重みを感じながら、蒸し暑い地下道を、汗を拭きながら歩きました。

その後、地下鉄乗車はわりとあっさりクリアし、目的のクリニック前に着いたのは、診察予約時間の40分前でした。何ともまあ、中途半端な時間です。徒歩10分のところにドッグカフェがあるとわかりましたが、往復に20分かかり、予約時間の10分前にクリニックに入ることを考えると、カフェ内で過ごせる時間はたった10分ほど。それもせわしないなとあきらめ、花子をキャリーバッグから出し、近所を散策して過ごしました。

それにしても暑い午後でした。日陰を選んで歩きましたが、それでも暑い。花子は好奇心いっぱいに、ぜえぜえいいながらも歩き回るのですが、興奮して水をまったく飲んでくれません。脱水症状になってはいけないと、途中であわててコンビニに牛乳を買いにいったりもしました。

ぶらぶら歩いていると、公園がありました。ちょっと座って休もうと思ったけれど、気づけば公園にベンチがありません。ホームレス対策なのか、ベンチ自体が置いて無いんです。よく見るとみんな、花壇の端のちょっと高くなっているところに、膝を抱えるようにちんまり腰かけている。仕事途中らしきサラリーマンも、学生さんらしい女の子も、みんなそうでした。私もそれに習って、ちんまりと座りました。興奮して歩き続けた花子も、隣に座って休憩です。結局そこに、二人と一匹でちんまりとしながら、予約時間が来るのを待ちました。

午後3時、予定どおり診察が始まりました。診察の結果はおおむね良好で、全体の健康状態は良く、懸案の心臓の具合も好調といわれました。ただ食べ過ぎで肝臓が弱っているとのことで、食事量を減らす指示を受けつつ、胃腸の漢方薬をもらってきました。

とにかく心臓の状態が良かったこと、無事予定通り大阪まで来て診察を終えられたことで、ほっとしてクリニックを出ました。気分的には、さっきみつけたドッグカフェで、ちょっとお茶でもしたいところでした。

しかし時間はもう午後4時前、じきラッシュアワーが始まります。
ぎゅうぎゅうづめの電車に乗って、花子が吠え続けるなんておそろしい事態は、断固避けたい。そうならないように、また花子をキャリーバッグに入れて、急ぎ帰途に就きました。

幸い、大阪発午後4時半の電車に乗ることができ、車内はまだ人もまばらでした。車両の一番すみっこの席を確保し、花子を入れたキャリーバッグを膝の上に置きます。隣はまたも空席。ラッキー。あとはもう、地元に帰るだけだ。とにかく、今日一日を、つつがなく終えられてよかった。そう思うと、心底ほっとしました。

車内には西日が差し込み、行きの電車以上に気温が高く感じられました。
乗車直後から、花子はまたキャリーバッグの中で、ハアハアと荒い息遣いを始めました。そんな彼女に、車内の冷気をバッグの中に送るべく、私は再度投函予定のハガキを取り出して、パタパタと花子を仰ぎました。

しかしいったい、こんなので涼しくなっているんだろうか?
疑問に思って手を止めると、花子はまるで「なんでやめるん? あおぎなさいよ!」といわんばかりに、私をじーっと見てハアハア言います。

はいはい、あおぎます、あおぎ続けますよ花子様。これで少しでも涼しくなっていただけるならば。ため息をつきながら、また手を動かします。

おかげで私は眠ることもできないし、スマホも見られない。ただひたすら、西日をダイレクトに顔面に受けながら、犬をあおぎつづけました。

頭ではああ大変な一日だったと思ったけれど、胸の中は不思議に幸福感でいっぱいになり、ふと涙がこみ上げてきました。私は、花子と大阪に出かけた今日のことを、西日を浴びながらハガキでパタパタ愛犬をあおいでいる今この瞬間のことを、ずっと忘れないだろうと思いました。ドラマチックなことは何も起こらなかったし、カフェで優雅な時間を過ごすような思い出に残ることもできなかった。ただただ、暑くて、重たくて、気を使って、大変だった。その大変さ一つひとつが、宝物なのだと感じました。

いつの日か花子が旅立った後でも、今日のことは何度も思い出すだろうし、私が年を取って犬を飼っていたことさえ忘れてしまっても、この幸せはきっと魂に刻み込まれていて魂が覚えているだろうと思いました。

大阪遠征で、私も疲れたけれど、花子は私以上に疲れていました。
帰宅して食事を与えると、花子はそこから3時間近く、死んだように眠り続けました。

その様子を見て、死んだように正体なく眠れる安全な場所があるということは、本当に幸せなことなのだと気づきました。そして自分が愛犬に、そういう場所を提供してあげられていることを、とてもうれしく、誇らしく思いました。

そのとき、ゆきのさんの絵本の「すべてのものがあなたを愛している」、という一説を思い出しました。
絵本を見たときはピンとこなかったのですが、眠りこけている愛犬を見てはじめて、ああこういうことかと腑に落ちました。

世界のすべてが、愛犬を安らかに眠らせていると感じました。愛犬がもぐりこんでいる机、その下の暗がり、お気に入りのひしゃげた座布団、熱くも寒くもない部屋の空気、私と母のくだらない会話、そのすべてを包みこむ家、家を包みこむ世界、確かにすべてが愛犬を愛している、というのが感覚的にわかりました。

そしてそう考えると、今度は自分のことも見えてきました。
こうやって座っている椅子も、口に運ぶマグカップやコーヒーも、空気や電気も、それを包み込む部屋も、部屋を包み込む宇宙も、私を愛してくれているのだなと感じました。

以上、暑い秋の日の気づきでした。