小さな車と小さな犬

昨日、3年間乗った軽自動車を手放しました。
車を所有していることは、私にとって精神的にも経済的にもかなり負担だったので、手放すのは合理的で正しい判断でした。手放すと決めたのは、2、3か月前で、それ以降は、何となくほっとした気分で毎日を過ごしてたのです。
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しかし昨日、実際にもうこれでお別れとなると、悲しさや寂しさがこみあげてきて、なんと号泣。自分でもびっくりです。

その車は、花子を獣医さんに連れていくために買ったようなもので、よく花子を助手席に乗せて走りました。だから昨日は、「もうこれで最後だからね」と言いながら、花子を助手席に乗せて写真を撮りました。すると、この3年のいろんな思い出がよみがえって、涙が溢れました。

写真を撮り終わって降りようとしても、ドライブ好きの花子がどこかに連れて行ってもらえると期待して、助手席から動かないのを見て笑い、「もうこの車でドライブ行くのおしまいなんだよ」と言って、その自分の言葉がさらに悲しみを誘ってまた号泣……。

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いやもう本当に、びっくりするくらい泣きました。
これまで知りませんでしたが、車って、こんなにも人に愛着をもたせるものなのですね。
47歳にして、「愛車」の意味を心で知りました。

運転と格闘した3年


私は19歳で免許を取った後、25年ものペーパードライバー期間を経て、44歳で一念発起して車に乗り始めました。
そしてこの3年、結局、運転を好きになれませんでした。

特に最初の一年は、もう怖くて怖くて。車に乗ることが、ものすごくストレスでした。だけど乗らないとうまくならないのもわかっているから、乗らなければ乗らないでまたストレスなんです。つまり最初の一年は、乗ってる時も乗っていないときも、常に車のことで憂鬱なまま過ごしていました。

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その後、少しずつ運転に慣れて、楽にはなっていきました。
それでもやはり、「車でどこそこにいかねばならない」、と思うと気持ちは重くなり、行かなくていいことになるとふっと楽になりました。それは、この5月まで続きました。
やはり総じて、私は車の運転が好きではないし、あまり向いてもいない、ということになるのではないかと思います。

車を手放したら、経済的負担だけでなくて、そんな精神的負担からも解放されます。だから車を手放すことは、どこか私の中では「厄介払い」、みたいな気持ちもありました。

それが実際、別れの時が来たら、悲しくて寂しくたまらなかった。それに車の運転は好きじゃなかったけど、私の車自体は……ミライースだったので何のひねりもなくミラちゃんと呼んでいたのですが……ミラちゃんは大好きだった。私が40代半ばで打って出た挑戦と冒険の、最高の相棒だったと思いました。

そして、ふと気づいたことがあります。

しんどい、つらい、こわいも幸せのうち


それはこの3年、車の運転は私にとってしんどかったし、つらかったし、こわかったし、負担だったけど、それもやっぱり幸せだった、ということです。

つらいとか、こわいとか、しんどいとかは、一般に「ネガティブ」と呼ばれる感情ですし、これまで私は、幸せとは対極にあるかのように思ってきました。
だけどそういった感情にとっぷりと浸り、「車の運転てつらい、しんどい、こわい」と実感できたことは、やはり幸せだった。そしてこれこそが、最近よく大木ゆきのさんがブログでおっしゃるところの「人間やっていること」なのではないか、と思いました。

日々、楽しいこともあればつらいこともある。そんな諸々、すべてをひっくるめて、私はこの3年間幸せの真っただ中を生きてきたし、今この瞬間も幸せの只中にいるのだと思います。そのことを、去って行ったミラちゃんが教えてくれました。
だから私はただ、今この瞬間に集中して、良いも悪いもすべてを深く味わえば、それでいいんだと思う。それが、「幸せになる」ということなんじゃないか、という気がします。

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小さな車に小さな犬を乗っけて、ハンドルをぎゅっと握りしめて街を走った40代の日々を、私は生涯忘れないでしょう。運転席から、幸せの真っただ中で見た風景は、たとえ年をとって記憶が薄れても、私の魂がずっと覚えているでしょう。

ばいばいミラちゃん、どうもありがとう。犬の花子もだけど、車という姿で来てくれたあなたも、私にとっては素晴らしい気づきを与えてくれる天使でした。一緒にいろいろ、冒険したよね。楽しかったね。

……ミラちゃんへの惜別のメッセージを言い始めると、言葉も涙も止まらないので、ここでやめておきます。
この前の記事もしいたけ占いに泣いた話だし、最近どうも涙もろいです。
年を重ねると涙もろくなりますね、ほんまに。そしてこれも、「人間やってる」ってことなんでしょう。