友人たちとの婚活トーク①その人とほおずりできますか

久しぶりに、婚活にまつわる話です。
ここのところ立て続けに、親しい友人と結婚や婚活の話をする機会がありました。
そのときにいろいろ思うことがあったので、会話の中で印象に残ったことを、忘れないうちに書いておきます。

友人Aの知人Kさんの話


友人Aは、趣味で知り合った仲間の一人です。アラフィフの独身女性、職業は金融系のコンサルタントでめちゃくちゃ聡明な人。
彼女と婚活の話になったとき、結婚相談所で今の旦那さんと出会って結婚したという、知り合いのKさんの話をしてくれました。

そのKさんが結婚相談所に入ったところ、男性からとてもたくさんの申し込みがあったそうです。そしてその中から、まずは年齢や収入などの条件で絞って、お見合い。さらにお見合いで会った後に、もう一度会って次のステージに進むかどうかを判断するとき、KさんはYESかNOかの、明確な判断基準をもっていたそう。
それは、その相手と「ほおずりできるかどうか」だったんですって。

そして最終的には、希望どおりの条件(旦那さんはお医者さん)で「ほおずりできる」異性と、見事に結婚したそうです。

友人Bの話


友人Bはアラフィフの既婚女性。元職場の同僚で、ずっと親しかったのですが、今回初めて結婚のときの話をじっくり聞きました。

今の旦那さんは、最初は遊び仲間だったそう。ぜんぜんタイプではなくて、異性として意識していなかったけれど、話してみるとすごく会話やノリが合った。ときめくとか、大好きとか思ったことはないけれど、「一緒にいるのがぜんぜん嫌じゃなかった」んですって。
そして誘われたら、二人で遊びに出かけるようになったそうです。

あるとき、二人でドライブに出かけた帰り、友人Bが車の中でおトイレに行きたくなったのだそうです。普通だったら男性に言いづらいのに、なぜか彼には「おトイレ行きたいから、どこかに車とめてくれへん?」とすごく自然に言えたそう。すると彼はすぐに、ガソリンスタンドで車をとめてくれた。しかし、友人Bにさらなる試練が! そのガソリンスタンドのトイレは、男女共用の一つだけで、しかもドアが壊れていたんだそうです。

そこでその友人、彼を呼んで、「ちょっと悪いんやけど、押さえててくれへん?」と、外側から彼にドアを押さえてもらって、中で用を足したそう。
さらにすごいことに、そのときに、「ああ私、この人と結婚するんやろうな」と思ったんですって。

そしてその次に会ったときに、彼の方から、「自分はあなたとお付き合いしたいし、お付きあいするからには、結婚しようと思っている」と言われたのだそう。まだキスはもちろん、手もつないでいなかったそうです。
そしてそこから、約1年で結婚。

「なんていうか、大好きとか、ときめきとか、そういうのはなかってん」と、重ねて言う友人B。「でも、なんていうかこう、家族のような気持ちが、あってんな」。

なんか私すごくいい話だなと思って、その場ではちょっとうるっときてしまった。
おトイレのことで何か変な話ですが、伝わるでしょうか。

二人の話に共通すること


Kさんと、友人Bの結婚の話には、共通点があります。
それは結婚相手を選ぶときに、「感覚的、本能的に合うかどうか」が大事な基準になったということです。

Kさんは「ほおずりできること」、友人Bは「一緒にいて、なんか嫌じゃないねん」。

生理的に嫌じゃない。本能的、感覚的に馴染む。男と女として、合う。やっぱり、そこなんやなと、あらためて思いました。

「男女として合うかどうか」の基準を具体的に考えてみる


また、Kさんの話は、特に興味深かったです。同じように結婚相談所で婚活をした結果、私は失敗、その人は成功と明暗が分かれたわけです。

今回私は、結婚相談所での婚活で、相手を見極めるべき大きなポイントとして

1、相手の条件が自分の希望と合うかどうか
2、相手と男女として合うかどうか(異性として自分の好みを最低限満たしているかどうか)

の二つがあったんだということに、今さらながら気づかされました。
そしてその人は、この二つのポイントが、よくわかっていたんですね。友人Aも賢い人ですが、そのお友達Kさんもやっぱり賢いなあと感嘆してしまいました。

このうち、条件が合うかどうかはプロフィールで一目瞭然です。
でも二つ目の、「相手と男女として合うかどうか」「異性として好みを満たしているかどうか」は、感覚的なことだから漠然としていて計りにくい。それを私は「ピンとこない」という言葉で済ませていた。

でもこの人は違います。結婚相手はものすごい男前でなくても、セクシーでなくても、大好きでなくても、ピンとこなくてもいいから「最低限、ほおずりできる人」でなくては、と考えたんですね。逆に言えば、ほおずりさえできれば、結婚できると。
すごい。賢い。このあたりの私との違いが、婚活の成否の分かれ目の、一つになったのかもしれません。

……もし婚活中の私が、相手が異性として自分と合うかどうか、本能的生理的に嫌じゃないかどうかの、こんな明確な基準をもっていたら、どうなっていただろう? ちょっと違う、何か面白い展開があった可能性も、充分にあると思います。

今後もしまた、私が結婚相談所での婚活に復帰することがあったら、今度は絶対にこの「男女として自分と合うかどうか」の、具体的な基準を掲げようと思っています。さて、私の基準は、何だろな? 今、ぱっと思いつかない。それにしてもこの「ほおずりできる相手」って、絶妙ですよね。これを越える基準が自分で作れるかなあ。

もし今、結婚相談所で婚活がんばっていて、うーんという結果が続いていて、「相手と男女として合うかどうか」や「相手が異性として好みを満たしているかどうか」の基準を掲げていないなら、一度Kさんのように、そこを具体的に考えてみられるのも一つの手かも。もしかしたら、何かすっきりクリアになることがあるかもしれないです。