最近、ありがたいことに、身近に親切な人が多くて、「なんて良い人なんだろう」「本当に良くしてくださるな」と感謝したり感激したりすることがよくあります。たとえば、私が何かしようとしたら、惜しまず協力してくれる友人。自分では犬を飼っていないのに、花子のためにおやつを買って、会うたびに与えて下さる優しいご近所さん。本当にありがたくて、「ありがとう」と思うたびに、胸が熱くなります。
いろんな感情がある中で、私にとって「感謝」は、特別な感情だという気がしています。
感謝ほど、深く満たされる感覚をもてる感情は、ほかにないからです。
誰かや何かに感謝すると、喜びと幸せと、「ありがたい」という気持ちが、熱をもって胸の真ん中からじわーっと広がっていく感じがします。さらに丁寧にその感覚を感じ続けると、広がって広がって、宇宙と一つになれる、つながれるという感じもするのです。
私は究極のところ、感謝を学ぶために生まれてきて、延々と人間をやっているのではないかと思うこともあります。
最近は親切な人が多いと書きましたが、これまでの人生、特に20代30代の頃は、そんなことはありませんでした。
良い人や気の合う人もいたけれど、嫌な人の方が圧倒的に多く、傷ついたり傷つけたりするのが人間関係で、だから私は基本的に人間が嫌いでした。
だからこそ今、親切な人や、助けてくれる人のありがたみが、よくわかります。
親切な人ばかりではないからこそ、親切な人がどれほど得難くて有難いか、わかるのです。
そして今日ふと、思いました。
もし身の回りがずっと親切な人ばかりだったら、それが当たり前だと思って、この有難さに気付かなかったかも。
感謝することもなかったかも。
ということは。
これまで出逢ったたくさんの嫌な人物たちは、私が人に対する感謝を知るための、キャストだったのかな。私の人生というシナリオの中で、あえて憎まれ役として登場してくれてたんだろうか…?
かなり前のことになりますが、敬愛するスピリチュアリストの*大木ゆきのさんがブログに、自分に起こるのはすべて必要な事であり、出逢うのはすべて必要な人物で、魂のレベルまで戻ると実はみんな仲間である……といった内容を書いておられた記憶があります。
今日の気づきは、そこにも直結することです。
親切にしてくれる人たちに対する、「ありがとう」という思いは、計り知れません。
でもあの嫌な人たちもみんな、実は私に感謝を教えてくれる、ありがたい先生たちだったのかな。
そう思って、憎たらしい顔の一つ一つ、何とも言えない気持ちで思い出したのでした笑。
*大木ゆきのさん
公式ブログ「幸せって意外にカンタン♪」
著書も多数。
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